生涯録

16歳の熱をいつまでも since2013

褒められると

業務終了後、とあるミーティングがあった。
 
一番乗りだったので、会議室のイスとテーブルを小規模ミーティングに合うように並び替え、クーラーの効いていない部屋の窓を全開にし、扇風機をうまい具合の位置に置いて、お菓子を机の上にばらまいた。
 
あとは借りてきた猫?のようにイスにちょこんとかけて背筋を伸ばして他のメンバーの来室を待つ。
 
…それから約一時間後、メンバーが一人現れ、その十分後にもう一人のメンバーが現れた。どちらも女性のメンバーだった。女性二人に僕一人。
 
誰が司会をやる?ということになったので、即座に「やります」と手を挙げる。
 
ホワイトボードに前回の打ち合わせ時に出たアイデア(二人が話してくれる)を書き、更にそこから一歩深めて実行可能な企画にするべく、話をした。
 
流れるようにすらすらと出てくる言葉、傾聴、アイデアの結合と分離。
 
ボードの前に立ちながら、私は自身の中高時代の生徒会活動を思い出していた。あるいは、大学時代、バイト先で月に一度のペースであった会議(司会役を任されていた)を思い出していた。
どちらも当時は自分自身の納得のいくような進行からは程遠く、会議のあとはいつも自分の不甲斐なさに落ち込んだものだった。
 
でも、今日は違った。
二人のサポートが厚かったこともあるだろう。
 
短時間で、密度の濃い話し合いができたという、そして二人もそう感じているという、たしかな手応えがある。
 
話者のいいところを、発話意欲/コミットメントを、うまく引き出せたような手応えもある。
 
今までの失敗は確実に今に生きている。
 
 
そう思えばこそ。
 
社会人になって、以来、目の前の業務に追われるばかりでこういうのを忘れていた。チームをまとめたり、引っ張ったり。
 
目の前の業務に一所懸命に取り組み、信頼を培っていくなかで芽生えたささやかな自信が、その一滴が、自分の力を引き出したのかもしれない。
 
充実感があった。
 
大人になるということがこういうことなら、それは素晴らしいことである。
 
いや、なにか違います
 
生きるということがこういうことなら、それは素晴らしいことです
 
会いたい人にいつか会える
そのときどんな自分でありたい
 
こうありたい、という自己を実現していくことが私にとっての生きる理由です。
そのプロセスが私の人生です。
 
一人じゃなく、周りに良い影響をもたらす「わたし」でありたいです。
 
これからも今登っている山を、登り続け。
 
目をつむったときにイメージとして現れる、笑顔で励ましてくれるあなたの存在がどれほど大きいものか、当のあなたは気づかないでしょうね。
 
私は気づいたのです。
なぜ、あなたにそんなに惹かれていたか!
 
なぜあなたがそんなにスペシャルなのか!
 
いつかこの気持ちを伝えられればいい。
後出しジャンケンもいいところだけど、きっといつか、近い将来、胸を張って会えるよう
 
証券会社