生涯録

16歳の熱をいつまでも since2013

I"s三周目読了

Sunday

 

読み返すたびに発見がある。

 

I"s

一度目はあらすじ(発言)を追うのに精一杯で、ただずんずんページを繰るばかり。おもしろいなぁおもしろいなぁという読み。

二度目は、読んでいる箇所の全体での位置づけみたいなものをよく考えるようになって。味わいが深まって。部分と全体をとにかく意識したわけです。流れを意識した。どんな風に話と話がひもづいていくのかってのを。

そして三度目の今回は、細部の描写に目が行くようになって。「ドキドキ!」とかそういう吹き出しの外にある言葉とか、吹き出しの枠のデザインが主人公の思いによってどんな風に変わるかとか。メインの人物以外の登場人物(重要な脇役たち!)の心理にまで思いがいったり。話の冒頭で桜の花びらが舞っていて、そこで目を閉じ強く春を想像したり。物語のなかの地理を意識してみたり。そしてやっぱり、読みながら何度も感動して。桂正和氏は天才だなぁなんて思って。

実はI''s三周目読了の前に、電影少女(二周目)を読了したのですが、、、

これまでの「I''sがベストワン!」という考えがすこしぐらついています。

というのも、桂正和氏の作品のなかでI”sが占めるポジションというのは、村上春樹でいう『ノルウェイの森』だと思うんです。

たしかに代表作だけど、例外的な作品

そんなポジション。

電影少女」ライクな、リアリズムタッチではあれど特異な設定(SF)のストーリーにこそ、桂正和氏の味わいがあるのかと。

 

言い換えれば、I"sはそれはそれで素晴らしいんですけど、万人受けするおもしろさなのではないかと。「おもしろい」んです。一方、電影少女の方は「おもしろい」に加え読了後、名状しがたい何かが強く残るんです。I''sと電影少女では読了後に感じる満足の種類が異なるということを伝えたいのですが、うまく言葉にできません。

 

桂正和作品の味わい云々を言い出したら、「ヒーロー物」のウイングマンや最新作のZETMAN(本日、漫画喫茶にて10巻途中まで読んだ)にこそ桂氏の真骨頂が表れているという指摘をいただきそうですが。

 

ZETMANを読み終えたら、また何か変わるかもしれないなぁと思いつつ、桂正和氏にどっぷりの週末でした。 

 

 

 

 

 

 

 

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