生涯録

16歳の熱をいつまでも since2013

強くなければ、優しくなければ

ふとした瞬間に、自分の生きる世界の圧倒的地味さに心が折れそうになります。たとえば、Facebookで知人のアカウントを覗き見しているとき。その知人の友だち(つまり友だちの友だち)のアカウントを覗き見しているとき。

 

彼らの生きる世界といったら、なぜあれほどにきらきらしているのでしょう。家族、仲間、仕事、旅行、遊び、夢。みんな生き生きとしていて、華やいでいます。

 

FBを見ていると、これまで「電話」で培ったささやかな自信さえ持っていかれるような感覚があります。

 

自分はなんておこがましい言動を繰り返しているのだろう…そう冷静に我が身を振り返れば、それがベースになってしまえば、きっと萎縮して何もできなくなってしまう。

 

以前、付き合っていた恋人に

「鏡を見ろ」

とよく言われたものです。

 

鏡を見て、自分の醜さを自覚しろ

ということなのですが、こういうことを言われ続けると、なんだこの世はやはりルックスがすべてか、というような気もしてきます。もっとも、そのルックスというのも本人の努力によってある程度なんとかなるものだと思っていますが。

 

今日からまた四日間、会社です。

そして土日。

 

土日が来ても連絡をとれません。

一ヶ月と三週間連絡をとらないという約束があるからです。

 

もっと話をしたい。どんなに短くてもいいから時間を共有したい。会いたい。

 

しかしそんな風に思えば思うほど、たぶん物事は悪い方向に進んでしまうような気がします。

 

僕は自分のやるべきことをやるしかないのでしょう。

 

レイモンド・チャンドラーの小説に次のような一節があります。

 

強くなければ生きていけない。

優しくなければ生きている資格がない。

 

僕が思うのはこうです。

 

強くなければ守れない。

優しくなければ笑顔は生まれない。

 

…キタ

…こう書いて気づきました。

僕は何より、彼女を守り(エゴである)、彼女をたくさん笑わせたいのだと。

 

この日記を書いていて、自分の目指すところを自覚できました。

 

「守りたくて、笑わせたい」 

 

これが核心なのです。これが根っこなのです。

これ以上無理に遡ろうとしなくてもいいんじゃないかと思います。

 なぜ守りたくて、なぜ笑わせたいかなんて、考えなくていいと思います。

 

守りたくて笑わせたい。

深い安心感で包み込み、たくさん笑わせてあげたい。

 

要するにそういうことだったんだ…!と朝から激しくアハ体験中です。キターーーーーー、恋心の根っこをつかみました~!

 

こんな駄文を読んでくだすったあなたに、揺るぎない幸あらんことを!

 

最後にリンクを。

レイモンドチャンドラーといえば。

 

 

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