僕が「愛していると言ってくれ」に途中から冷めてしまった理由
こんばんは。
もうこんな時間です。22:00に寝れば天国行きだというのに。
今日は雨、雨、雨。
仕事が終わって帰宅してからドラマ「愛していると言ってくれ」を観ました。
おもしろいおもしろいと、ここ数日、毎日このドラマを観るのを唯一の楽しみ?慰め?にしてきた私ですが、第10話くらいからどうも冷めてしまいました。自分なりに考えたその理由を列挙してみたいと思います【以下、ネタバレあります】
・紘子(常盤貴子演じる)があまりに感情的過ぎたるはなお及ばざるがごとし
・物語のドライブたる「誤解」も過ぎたるはなお及ばざるがごとし
・ドリカム「LOVE LOVE LOVE」の挿入が10話以降ガクっと減ったこと
・紘子が晃次を信じきれないがために幼馴染の「健ちゃん」と寝たこと
→この部分はものすごく「リアル」なんだけれど、そこまで保ってきた物語の純粋さ(純潔さ)が一気に失われてしまったような気がした
・晃次があまりに報われない点
・かき乱した人ら=島田光や榊栞らのその後がまったく描かれていない
→いつの間にかフェードアウトしてるのが個人的に不満でした
紘子もたしかに最後は「選択」するわけです。
健ちゃんでもなく、晃次でもなく。
一人で、原点に回帰するがごとくアクトレスを目指し。
「AでもBでもないから(とりあえず、やっぱり)C!」的な選択であるわけですが。
ストーリー全般を通じて、紘子はあまりに幼な過ぎはしないか。時代というやつ?
他人の人生をかき乱すだけかき乱し。
感情でばかり動いて、健ちゃんにも晃次にも誠実に向き合えていなかったのではないか。
それがアイデンティティの季節=23歳なのか。
たぶん、僕は作品を通じた紘子の成長、みたいな所に無意識ながらものすごく期待していたのかもしれない。
ああ、どうしてハッピーエンドにしてくれなかったのか。←結局そこか!(笑)
「ビューティフルライフ」といい、北川悦吏子の作品はどうも一筋縄ではいかないようです。
結局、「愛していると言ってくれ」は12話のドラマに収まる話じゃなかったのかもしれません。したがって、あるいは次のような言い方ができるかもしれません。ドラマ版(まだドラマ版しか知らない)には物語に必要なだけの余白が足りなかったのだと。