生涯録

16歳の熱をいつまでも since2013

不器用さを克服する過程のなかで

自分の気持ちをストレートに表現することしかできない少年も、恋をして、相応に苦しんで、相手に届く表現の仕方を学んでいくわけです。場合によっては万の言葉より一の行動です。どんな言葉であれ、相手に届かなければ意味はないのです。

 

2月11日になったら、僕は某人に連絡をとることが可能になります。

7週間(はじめの約束を破ったため、正確には11週間)のなかで、月並みな言葉になりますが、いろいろと考えました。できるだけ客観的に自分自身を見つめ直したかったので、さまざまな人の意見を聞きました。それでどれほど自分が独りよがりだったか改めて気づかされたのでした。

 

そんな独りよがり、言い換えれば不器用さみたいなものを、今度は少し克服できたのではないかと思うのです。この文章を書いている今だけかもしれないけれど。実際にやりとりをしたらまたすぐにエゴが発露してしまうのかもしれないけれど。

 

それでいくぶんスマートになったとして、自分はそれでいいのか?とも思います。ぐっと飲み込める力って尊い!と思う一方で、仮面をかぶって相手に接するのは「ずる」なんじゃないか?とも思うのです。こんな風に考えているうちは、僕はまだ不器用さを克服していないのかもしれません。いくら完璧だと思っても、そこには抜け漏れがある場合がほとんどです。すべては時の試練を経ない限り明らかになりません。

 

本当だったら僕はこう言いたいです。

今すぐ会いたいです。会えませんか?難しいなら電話だけでもできませんか?

 

でも、そうは言いません。

おもしろいことを日常のなかでたくさん見つけて、それをストレージして、手紙(LINEなりメールなり)という形で彼女におもしろおかしく伝えるようにします。

 

それだけで思いは伝わるはずだから。

ストレートな言葉で伝える段階は終わったのです。

 

できるだけ某人を笑わせてあげられたら、と思います。

そしたらそれだけで十分満足がいくのではないか、と。

 

この7週間、息を飲むような素晴らしい思いもしましたし、一方、深い闇の中で行き惑いもしました。いずれも僕にとってはとても大切な体験でした。

 

 

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