一か月の受苦、それはすなわち一か月のパッション
自分の気持ちを偽って、隠して、相手に気に入られるように行動することは、なんとなくフェアではないように思っていた。だからこそ、特定の人たちには、思ったことを正直に言ったり、思った通りに振る舞ったりしてきた。
それが「心を許す」ということだと思っていた。
そんな風にして心を許せばきっと相手も正直になって、自分に心を許してくれるものだ、などと、ちょっと錯覚していた。
実際にはそうじゃないらしいってことに最近気づいた。
実際にはそうじゃないらしい。
人には人のペースがあるし、自分が相手ではないように、相手は自分じゃない。
相手には相手の考え方がある。
だからこそ奇跡と呼べるような出来事も起こりうる。
さあ、明日を探そう