生涯録

16歳の熱をいつまでも since2013

喪失、人生の震え、存在の証明

21歳から24歳にかけて、とてつもなく惹きつけられた人がいた。

25歳、26歳と、学校を卒業したあとも、折に触れて僕はその人のことを考えないわけにはいかなかった。

 

その人が結婚することになった。その人にとって当然ながら身近な存在であり、僕にとってもまた身近な存在である素敵な男性と。

 

今日3/6(日)の正午過ぎに、結婚の報告を告げるメールが届いた。

黙っていて申し訳なかった、と。ようやく二人を取り巻く環境に変化が訪れて皆さんに報告できる運びとなった、と。

寝耳に水、というのはあるいはこういうことなのだと僕は思った。

 

まず僕はそのメールを読んでフリーズした。事態をうまく把握できなかったためだ。次に僕は笑うことにした。笑って祝福しなければいけない気がしたからだ。笑ってしまえば、それに続いて喜びが訪れた。僕は思わず立ち上がり、「うっそだろ!まじかよ!まじかよ!うっそだろ!うっそだろこれ!やった!おめでとう!!結婚、おめでとうございます!!!!!!!!」と叫んだ。26歳会社員が子どものように興奮して叫んだ。

 

それはとても不思議な感覚だった。

相反する感情が混ざり合ってできた喜びとも悲しみともつかない、ふわふわとした奇妙な感覚だった。どちらに転べばよいかわからないままただ心がバランスを失っていた。初めて経験する感情、といっても過言ではなかったと思う。

26歳にしてまだ自分の知らない感情というものが自分の中に眠っていることに気づかされたのだ。

 

思いを伝えたわけではない。

思いを通わせたかったわけではない。

男女の関係をある意味では超越したような関係であったのだから。

 

にもかかわらず、僕はある種の深い喪失感にさいなまれている。

しがない26歳会社員は、今、深い喪失感に襲われている。

 

彼女は自分にとって憧憬の対象だった。

手で触れた瞬間に消えてしまいかねないほど、稀有で繊細な、憧憬の対象だった。

 

 

だから僕はある時から彼女ではなく、彼女の婚約相手にばかり話し(仕事の報告)をするようになった。

 

それ以上彼女と接していたら、自分を抑えきれなくなるとわかっていたからだ。

 

彼女の方でも薄々とは何かを感じ取っていたかもしれない。

 

けれどそうした判断が正しかったのかどうかは今となってはわからない。

 

ただ僕は、彼女が自分に対して持ってくれているささやかだけれど確かにあったであろう信頼を損ないたくなかったのだ。

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…人生であと何回、こういう思いをしなくてはならないだろうかと想像してみる。

 

たぶん、親が死んでしまったときにこういう思いをするだろう。

それはきっと今自分が感じている喪失感とは決して等価ではない深さも重さも異なる喪失感であろう。

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人生が震える、という表現が適切かどうかはわからない。

そのような表現が許されるのか僕にはわからない。

でも今日の出来事は、自分としてはそう表現するよりほかないのだ。

 

人生が震えた。

自分は何をやっているんだろう。

自分は、何をやっていたのだろう。

 

彼女にした宣言があった。

その宣言を聞いて彼女は渋い顔をした。

「それで生活していけるかはまた別の問題だ」と彼女は言った。

 

事実その通りだと思う。

 

でも僕は今となっては自分の夢をつかむために、

自分を走らせるしかないのだ。

 

そうでなかったら、あのときのあの我慢が報われないじゃないか。

 

今日も午後から23:30まで会社に行ってきた。

でも僕はこういう働き方をするために今の会社に入ったんじゃない。

僕は働くために生きているんじゃない。

 

いちばん大事なものが見えていなかった。

でも、今日、僕の人生を震えさせてもらって、やっと思い出しました。

 

僕は僕の夢をかなえます。

証券会社